中日友好演讲稿

来源:演讲 发布时间:2018-05-27 点击:

中日友好演讲稿篇一

中日友好

中日友好について私ができること あなたの身近には、日本人の友達や知り合いがいますか?もちろん。今中国で暮らす留学生はおよそ35万人を超えました。私たち若者は中日両国友好進める新しい力として、何をできるでしょう?

「中日友好のために、微力ながらも全力を尽くしていきたい」。この言葉は中日関係に関することを語る限り、何気なく使っている人がかなりいるだろう。実は私もその一人です。しかし、何回も使った後、自分が「言葉の巨人、行動の侏儒」というような気がしました。今までのことを反省してみると、自分が中日友好に貢献したことは何一つもなかったです。そして、中日友好のために、言葉ではなく、何か行動しなければと決心した。

もちろん、私のような存在では中日友好を深めるということは、力は弱いですけれども、とにかく私は身近な日本人と付き合うとき、中国の文化や事情を伝えたいです。去年の冬休み、友達の紹介をきっかけに、私は地元の大学の日本人先生と出会い合いました。そして、日本人と交流を深めるいいチャンスだと思いながら先生を誘って地元の軽食やいいところを紹介して喜んでくださいました。それに公園でおばあさんたちが踊っている姿を見たら、先生も行列に入っておどってきました。「おばさんの踊り、素晴らしいですね」という先生の言葉を伝えてあげた時、おばさん達の笑顔はとてもわすれられませんでした。私は小さな友好の花を咲かせることができた

とうれしかったです。

人と人の付き合いは、相手が金持ちか貧乏な人かは問わず、性格も同じでなくてもいいです、一番大事なのはお互いの心です。国と国の関係も同じなのでしょう。「私にとって一番怖いのは中国人学生が出してくる戦争についての作文です」と、ある日本人の先生はおしゃっていました。確かに、戦争のことがいつも気にかかる人もいれば、その先生のように、戦争という言葉が怖がっていて、戦争より平和にことにもっと関心を持っている人もいますし、日本人の中にも歴史を尊重し、中国人と仲良しになりたい人がいます。私、中国人として、優しい日本人の心をぜひ中国の皆さまに伝えたいと思います。「風は吹けども、山は動かず。」これはわたしの決心です。 これからの中日友好のかけ橋になることを、私はこの手で、力を尽くして頑張っていきたいものです。中日交流の素晴らしい明日のため、両国友好の美しい未来のため、みんなさん一緒にがんばりましょう。

ご静聴ありがとうございます。

傅丽丽

中日友好演讲稿篇二

日文演讲稿1

中日の若者文化について

2012級日本語1班

学生番号:20127934

名前:李盼

皆さん、こんにちは!私は李盼と申します。よろしくお願いします。

今日私のスピーチのテーマは中日の若者文化についてです。若者文化というは大きなテーマですから、ここでは私は主に中日両国の若者の文化交流問題について話したいです。

ご存知のように、今中日両国の間にわだかまりがまだたくさん残っています

しかし、中日両国の若者の文化交流はすっかり断ち切れていません。「今流行文化は日本の若者はとても気にかけていて、日本のコミュニケーションの媒体はよくアジアの各国の流行文化を撮っています。日本の若者は中国の大きな都市へ旅行にいくとき、モダンな中国の若者を見て、その第一反応は親切だし、両国の若者もあまりギャップがないと思います」という報道を読んだことがあります。その言い方に私も賛成します。また、今両国の若者文化において、流行文化だけではなく、アニメ文化、新技術文化などの点にも共通感があると思います。特にアニメ文化です。日本のアニメ文化に夢

中になっている中国の若者がたくさんいます。さらに、日本のアニ

メが好きで、日本語を勉強したくなって、日本の若者の友達になりたいと思っている若者も少なくないです。

では、中日両国の若者の文化交流のために、どうすればいいでしょうか。

まず、両国の各レベルの政府間の友好交流を堅持しなければならないと思います。また、媒体も役割を果たして、両国間の一時の揉め事を冷静に分析し、これからの友好交流の立場にたって、正しく報道しなければならないと私は考えております。

要するに、文化には国境がありません。これから、互いに中日両国の若者の文化交流のパイプをもっと拡大をしておけば、その共同文化もどんどん多くなることを信じております。

以上です。ありがとうございました。

中日友好演讲稿篇三

中日两国人民应该世世代代友好下去

中日兩國人民應該世世代代友好下去(一九七二年九月二十五日)

【題解】

這是在歡迎日本首相田中角榮的宴會上的祝酒詞,刊載於一九七二年九月二十六日《人民日

{中日友好演讲稿}.

【正文】

日本首相田中角榮閣下應

訪問,談判並解決中日邦

問題,我們感到高興。我{中日友好演讲稿}.

東主席和中國政府,對田

及其他日本貴賓們表示熱

迎。

田中首相來我國訪問,揭開了中日邀來我國交正常化代表毛澤中首相以烈的歡報》。 關係史上新的一頁。在我們兩國的歷史上,有著兩千年的友好來往和文化交流,兩國人民結成了深厚友誼,值得我們珍視。但是,自從一八九四年以來的半個世紀中,由於日本軍國主義者侵略中國,使得中國人民遭受重大災難,日本人民也深受其害。前事不忘,後事之師,這樣的經驗教訓,我們應該牢牢記住。中國人民遵照毛澤東主席的教導,嚴格區分極少數軍國主義分子和廣大的日本人民。因此,中華人民共和國成立以後,儘管兩國間戰爭狀態沒有宣告結束,中日兩國人民的友好來往和貿易關係不但沒有中斷,而且不斷發展。{中日友好演讲稿}.

最近幾年來,每年來中國訪問的日本朋友人數超過其他國家朋友,中國同日本在平等互利基礎上的貿易額也高過其他國家。這就為中日關

係正常化創造了有利條件。

當前,世界形勢正在發生巨大變化。田中首相就任以後,毅然提出新的對華政策,聲明要加緊實現同中華人民共和國的邦交正常化,表示能夠充分理解中國方面提出的複交三原則1,並且為此採取了實際步驟。中國政府本著一貫的立場,作出了積極的回應。實現兩國邦交正常化已經有了良好的基礎。促進中日友好,恢復中日邦交,是中日兩國人民的共同願望。現在是我們完成這一歷史性任務的時候了。 首相閣下,你來華前說,兩國會談能夠達成協議,也必須達成協議。我深信,經過我們雙方的努力,充分協商,求大同,存小異,中日邦交正常化一定能夠實現。

中日兩國的社會制度不同,但這不應該成為我們兩國平等友好相處的障礙。恢復中日邦交,在和平共處五項原則的基礎上建立友好睦鄰關係,將為進一步發展我們兩國人民的友好往來,擴大兩國經濟和文化交流,開闢廣闊的前景。中日友好不是排他的,它將為和緩亞洲緊張局勢和維護世界和平作出貢獻。

中國和日本都是偉大的民族。中國人民和日本人民都是勤勞勇敢的人民。中日兩國人民應該世世代代友好下去。在這裏,我謹代表中國人民向日本人民致意,並衷心祝願日本人民在前進的道路上取得更大的成就。 1 中國方面提出的中日複交三原則是:一、中華人民共和國政府是代表中國的唯一合法政府;二、臺灣是中華人民共和國領土不可分割的一部分;三、“日臺條約”是非法的、無效的,應予廢除。{中日友好演讲稿}.

今天,中日兩國領導人已開始就實現兩國邦交正常化問題,進行具有重要意義的會談。我們期望,我們的會談將取得圓滿的成功。

中日友好演讲稿篇四

中日友好条约缔结30周年麻生太郎演讲

胡錦濤 国家主席、

宋健 中日友好協会会長、

並びに、御列席の皆さま

(皆さん、こんにちは!私が、麻生太郎です。)

たかが30年、されど30年。

この30年という歳月は、私の政治家としての歩みとも、軌を一にするものであります。先ほど胡錦濤国家主席からお話しがありましたように、1978年10月23日、福田赳夫総理は、来日された鄧小平副総理との間で、日中平和友好条約の批准書を交わしました。

私が、国会議員として初当選したのは、その翌年のことであります。1979年、当時、日本青年会議所を代表して、訪中させていただきました。その際、全国青年連合会主席でいらした胡啓立氏にお目にかかったのを、つい昨日のことのように思い出します。

あれから30年。日中両国は、幅広い分野で交流と協力を重ねてまいりました。過ぎ去りし日々に思いを馳せるとき、現在の良好な日中関係は、本日御来場の皆さまをはじめ、数多の尊い御努力に帰するものであることを、改めて痛感しないわけにはいきません。

中国くらい、日本にとって重要な国は、ざらにはありません。30年前は、年間で4万人程度だった人の往来は、昨年は、5百万人を超えました。1日に、1万4千人もの人が、日中間を往来しています。経済面においても、昨年の日中貿易総額は、約2千4百億ドル。30年前の実に50倍です。

日中関係の要諦は、「互いに欠くべからざるパートナー」であります。胡錦濤国家主席も述べられていました。「日中は、和すれば双方に利益をもたらし、争えば双方の利益を損なう」と。

この根本的な心構えがあれば、困難があっても、必ずや克服できる。私が、日中「共益」の重要性を一貫して訴え続けてきたのも、こうした考えに基づくものです。

日中「友好」というお題目のために、互いに遠慮するような関係ではなく、日中両国が切磋琢磨して協力していくことが、真の「戦略的互恵関係」でありましょう。孔子が、「三十にして立つ」と述べたように、今や日中両国は国際舞台に立って、「共益」の精神を、世界に広げてゆかねばなりません。

一方、日中関係に関する世論調査を見てみると、私は、若干の不安を感じざるを得ません。日中両国とも、互いに多少なりとも肯定的な感情を持っている人は、それぞれ3割にも満たないということであります。

たとえ見解が異なっていても、相手が何を考えているかくらいは、常に正確に理解しておきたいものです。大事なことは、あらゆる層で対話と交流が積み重ねられ、相互理解が社会の広い面で深まることです。

特に、青少年交流の重要性は論をまちません。「日本は軍国主義化していると聞いていたが、滞在中、軍服を着た人に一人も会わなかった。」「中国では反日感情が強いと聞いていたが、実際は親切な人ばかりだった。」参加した日中の高校生から、こんな率直な感想を聞くたびに、私は、日中間の相互理解には、大海原のような潜在性がまだあると、つくづく感じております。

若者は皆、柔軟で鋭敏な感性を、そして無限の可能性を持っていると存じます。私は、日中関係について、「過去」を謙虚に振り返り、共に「未来」を築いて

いくことこそ、「現在」を生きる私たちの次の世代への使命である、そのように考えております。

世界は今、極めて見通しをつけにくい時期に、差し掛かっています。米欧の金融システムに生じている危機は、まさに国境を越えて、各国の実体経済にも影響を及ぼさんとしております。

現下の情勢を克服し、世界経済の安定と繁栄を取り戻すためには、国際社会が協調して行動していくことが不可欠であります。先ほども胡錦濤国家主席、そして温家宝総理との間で、こうした国際的な取り組みに対して、日中両国として貢献していくことを確認させていただきました。

環境や省エネルギーといった問題から、国連改革に至るまで、日中両国が協力して取り組み、アジアから積極的に世界に発信していくべき課題が、山積しています。

こうした状況で大事なことは、首脳同士が、何かあればすぐにでも電話で意思疎通を図る、そういう関係を培うことであります。日中関係の発展の先にこそ、アジア、ひいては世界の安定と繁栄があります。その意味で、私たちは、同じ未来を見据えています。日中関係の「底力」に、日中協力の可能性に、私たちはもっと自信を持っていい、私はそう思います。

日中両国は、引っ越しのできない、「永遠の隣人」であります。そして皆さんは、「戦略的互恵関係」の構築という、壮大なる日中共同プロジェクトの参加者でもあります。

日中両国が、より活力ある、開かれたアアのために、共に働き、共に伸びる。私は、そういう日中関係を築くために、胡錦濤国家主席、そして温家宝総理と共に、日本国総理大臣として、あらん限りの情熱と英知を注いでゆく決意であります。

以上、記念すべき節目での、日中関係についての、私の所信とでも受け取っていただければ光栄です。{中日友好演讲稿}.

最後に、日中平和友好条約締結30周年を、皆さまと共に祝福し、これまで日中関係発展のために尽力をされてこられたすべての方々に、心からの感謝を申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。

御清聴いただき、ありがとうございました。

麻生在中日友好条约缔结30周年招待会致词

2008 年10 月24 日

于 : 人 民 大 会 堂

胡锦涛 国家主席、

宋健 中日友好协会会长、

女士们、先生们:

你们好。我是麻生太郎。(中文)

可以说只不过 30 年,也可以说漫长的30 年。

这 30 年的岁月与我作为政治家走过来的生涯同步。刚才胡锦涛国家主席也讲过,1978 年10 月23 日,在福田赳夫首相与来日的邓小平副总理之间,互换了日中和平友好条约批准书。

我首次当选国会议员,正是在此后的第二年。1979 年我率领日本青年会议所代表团访华,当时有机会承蒙全国青年联合会主席胡启立先生予以会见。那时的情景,就好像是昨天一样历历在目。

30 年过去了,日中两国在广泛领域里不断展开交流与合作。抚今追昔,不禁使人深有感触:今天良好的日中关系,归功于今天在座各位及众多人士令人敬佩的努力。对于日本而言,像中国这么重要的国家并不多见。

30 年前还只是一年4 万人次的往来,去年竟超过了5 百万人次。也就是说,每天日中之间往来的人数多达1 万4 千人次。同样,在经济方面,去年的日中贸易总额约为2 千4 百亿美元,是30 年前的50 倍。

日中关系的关键所在是“互不可缺的伙伴关系”。胡锦涛国家主席也曾经讲过,“中日和则两利,斗则俱损”。只要具备这种基本理念,即使遇到困难也一定能够克服。我一贯强调我所说的日中“共益”也就是日中“共赢”的重要性也正是基于这一考虑。

我们的关系不应该是为了确保日中“友好”而互相之间过于客气的关系,相反,日中两国切磋琢磨、共同合作,才是真正的“战略互惠关系”。正如孔子曰“三十而立”,现在的日中两国应该立在国际舞台上,将“共赢”的精神在世界上广泛传播。另一方面,从有关日中关系的舆论调查结果来看,我不得不感到一些不安。在日中两国,对对方多少持有肯定情感的人数均不足三成。

即使见解有所不同,但至少也应时常去正确理解对方所想。重要的是,不断积累各个层面的对话与交流,加深社会广泛的相互理解。尤其是,青少年交流的重要性不言而喻。两国互访的高中生们曾发表坦率的感想说:“听说日本是军国主义化,但在日本期间并没有遇到过穿军装的人”;“听说在中国反日情绪强烈,而实际上人们都很热情亲切”。每次听到这些,我都深感日中之间的相互理解如同大海一般潜力巨大。

年轻人灵活而敏锐,并具有无限的可能性。就日中关系而言,我认为,只有谦虚地回顾“过去”、共创“未来”,才是生活在“现在”的我们为下一代的使命。当今世界,正步入难以预见未来的时期。欧美金融体系所发生的危机,正在超越国境影响到其他各国的实体经济。 为了克服目前的难关、恢复世界经济的稳定与繁荣,国际社会并肩合作是必不可少的。刚才我分别同胡锦涛国家主席、温家宝总理共同确认日中两国将要对这种国际社会的行动作出贡献。从环境、节能等问题到联合国改革,需要日中两国合作应对、向亚洲发出积极信 号的课题尚有许多。

在此状况下,重要的是,两国领导人在发生某种事情时立即通过电话进行沟通,建立起这种关系。只有日中关系取得发展,才有亚洲乃至世界的稳定与繁荣。从这意义而言,我们展望的未来是相同的。我认为,我们完全可以更加对日中关系的“底力”也就是潜力、日中合作的可行性充满信心。

日中两国是无法搬家的“永恒邻居”,而诸位都是构筑“战略互惠关系”这一宏伟日中合作工程的参与者。

为了更具活力、更加开放的亚洲,日中两国理应共同努力、共同发展。为了构筑如此的日中关系,我作为日本国总理大臣下决心与胡锦涛国家主席、温家宝总理一道倾注所有热情,发挥一切智慧。

以上是我在此值得纪念的重要时刻所表明的对日中关系的信念,荣幸地希望诸位能够给予理解。

最后,让我再次与各位共同庆祝日中和平友好条约缔结30 周年,同时向一直以来为日中关系的发展而尽心竭力的所有人士致以衷心的感谢。

谢谢大家。

中日友好演讲稿篇五

胡锦涛主席早稻田大学演讲稿中日对照

尊敬的白井克彦校长,尊敬的河野洋平先生,老师们、同学们、朋友们:

首先,我感谢白井克彦校长的邀请。有机会来到著名学府早稻田大学,同青年朋友和老师们相聚一堂,我感到十分高兴。我代表中国人民,向在座各位朋友,向日本人民,表示诚挚问候和良好祝愿!

{中日友好演讲稿}.

早稻田大学是中国人民熟悉的学府,与中国有着很深的渊源。早在上世纪初,早稻田大学就招收了数以千计的中国留学生。在中国近代史上有着重要影响的廖仲恺、李大钊、陈独秀、彭湃等曾在这里负笈求学。今天,早稻田大学同中国许多大学和研究机构保持着良好关系、开展着广泛的学术交流,为推动两国人文交流发挥了积极作用。

来到这里,我不禁想起我认识的几位日本朋友,他们是竹下登、海部俊树、小渊惠三、森喜朗、福田康夫、河野洋平先生等。他们都是贵校的校友,为日本发展作出了贡献,也为中日友好事业作出了贡献。在去年早稻田大学建校125周年时,你们提出要建设“培养世界人的世界性大学”、“挑战21世纪的开放大学”。这符合时代要求。我衷心祝愿贵校培养出更多英才,为日本经济社会发展、为人类进步事业作出更大贡献。

中日是一衣带水的邻邦,两国关系正站在新的历史起点上,面临进一步发展的新机遇。我这次来贵国访问,怀着中国人民对日本人民的友好情谊,带着中国人民对发展中日关系的真诚期待。中国政府和人民真诚希望,同日本政府和人民一道努力,增进互信,加强友谊,深化合作,规划未来,开创中日战略互惠关系全面发展新局面。

老师们、同学们、朋友们!

“世界的道路通向早稻田”,这是早稻田大学的一句名言。我们要推动中日关系长期健康稳定发展、实现两国人民世代友好,就要不断增进两国人民的相互了解。这里,我想从历史和现实的视角谈一谈中国,希望有助于大家更加深入地认识中国。

中国是一个具有悠久历史的国家,也是一个正在发生深刻变革的国家。在5000多年文明发展的漫长进程中,中华民族以勤劳智慧的民族品格、不懈进取的创造活力、自强不息的奋斗精神创造了辉煌的中华文明,为人类文明进步作出了重大贡献。同时,中国也走过了艰难曲折的发展道路。特别是1840年鸦片战争以后,由于封建统治的腐朽没落和帝国主义列强的侵略蹂躏,中国饱经磨难、历经沧桑。为改变受人欺凌、积贫积弱的境遇,实现民族复兴的理想,中国人民奋起抗争、前仆后继、发愤图强。1911年辛亥革命推翻统治中国几千年的君主专制制度以来,中国的发展历程大致可以分为3个阶段。从1911年到1949年,中国人民经过长期浴血奋斗,实现了民族独立和人民解放,建立了人民当家作主的新中国,为实现中国发展繁荣创造了根本条件。从1949年到1978年,中国建立了社会主义制度,实现了历史上最深刻的社会变革,中国人民经过艰辛努力取得了国家建设的巨大成就。从1978年到现在,中国人民毅然决然地踏上改革开放的伟大征程,开始了新的历史条件下新的伟大革命。

今年是中国改革开放30周年,对中国和中国人民来说是一个具有特殊意义的年份。30年来,中国成功实现了从高度集中的计划经济体制到充满活力的社会主义市场经济体制、从封闭半封闭到全方位开放的伟大历史转折,中国经济总量从世界第十一位跃至世界第四位,中国成为世界第三大贸易国,中国人民的生活水平从温饱不足发展到总体小康,中国的面貌发生了历史性变化。

{中日友好演讲稿}.

在改革开放的伟大实践中,我们深刻认识到,在当今世界日趋激烈的竞争中,一个国家、一个民族要发展起来,必须锐意改革、着力发展、坚持开放、以人为本、促进和谐。锐意改革,就是要跟上时代潮流,勇于变革、勇于创新,坚决冲破一切妨碍发展的思想观念,坚决改变一切束缚发展的规定和做法,坚决革除一切影响发展的体制弊端,为社会发展进步提供强大动力。着力发展,就是要始终把发展作为第一要务,坚持科学发展,着力把握发展规律、创新发展理念、转变发展方式、破解发展难题,不断解放和发展社会生产力,实现经济社会又

好又快发展。

坚持开放,就是要打开国门来搞建设,在互利共赢的基础上同所有国家开展经济技术合作,吸收和借鉴人类社会创造的一切优秀文明成果,既通过维护世界和平发展自己,又通过自身发展维护世界和平。以人为本,就是要坚持发展为了人民、发展依靠人民、发展成果由人民共享,尊重人民主体地位,发挥人民首创精神,始终把人民呼声作为第一信号,把人民利益放在第一位置,不断提高人民物质文化生活水平,促进人的全面发展。促进和谐,就是要以解决人民最关心、最直接、最现实的利益问题为重点,着力促进社会公平正义、增强社会创造活力,最大限度增加和谐因素,最大限度减少不和谐因素,确保人民安居乐业、社会安定有序、国家长治久安。

“苟日新,日日新,又日新。”“天行健,君子以自强不息。”这既是中华民族的先哲通过观察宇宙万物提出的重要思想,也深刻揭示了中华民族自强不息的民族精神,因此成为中国的千年传世格言。今天中国人民秉持的价值观念,既来自自己在当今时代的丰富实践,也源于中华文明的深厚根基,成为激励中国人民变革创新、与时俱进的强大精神力量。

总结中国改革开放的历程,中国人民得出了一个不可动摇的结论,这就是:中国过去30年的快速发展,靠的是改革开放。中国未来的发展,也必须靠改革开放。改革开放是决定当代中国命运的关键抉择,也是13亿中国人民的共同抉择。

我们清醒地认识到,尽管取得了前所未有的发展成就,但中国仍然是世界上最大的发展中国家。中国人口多、底子薄、发展很不平衡,在发展中遇到的矛盾和问题,无论是规模还是复杂性,都是世所罕见的。中国要建成惠及十几亿人口的更高水平的小康社会,要实现现代化、实现全体人民共同富裕,还有很长的路要走,必须持之以恒地艰苦奋斗。

中国将继续沿着中国特色社会主义道路前进。我们将以邓小平理论和“三个代表”重要思想为指导,深入贯彻落实科学发展观,统筹城乡发展、区域发展、经济社会发展、人与自然和谐发展、国内发展和对外开放,更加注重解决民生问题,更加注重增强发展协调性,全面推进经济建设、政治建设、文化建设、社会建设,努力构建生产发展、生活富裕、生态良好的文明发展格局。

中国将始终不渝走和平发展道路。这是中国政府和人民作出的战略抉择。这个战略抉择,立足中国国情,顺应时代潮流,体现了中国对内政策与对外政策的统一、中国人民根本利益与各国人民共同利益的统一,是实现中华民族伟大复兴的必由之路。中国坚定不移地奉行独立自主的和平外交政策,坚定不移地奉行互利共赢的开放战略,致力于推进国际关系民主化,推动经济全球化朝着均衡、普惠、共赢方向发展,促进人类文明交流互鉴,呵护人类赖以生存的地球家园,同世界各国一起分享发展机遇、共同应对风险挑战,推动建设持久和平、共同繁荣的和谐世界。中国奉行防御性的国防政策,不搞军备竞赛,不对任何国家构成军事威胁,永远不称霸,永远不搞扩张。

老师们、同学们、朋友们!

中日两国人民的友好交往绵延2000多年,堪称世界民族交往史上的奇迹。在漫长的历史进程中,中日两国人民相互学习、相互借鉴、相互交融,促进了各自国家发展进步,丰富了东亚文明和世界文明宝库。

到了近代,由于日本军国主义对中国发动侵略战争,两国友好关系受到严重破坏。这段不幸历史,给中华民族造成深重灾难,也使日本人民深受其害。历史是最富哲理的教科书。我们强调牢记历史并不是要延续仇恨,而是要以史为鉴、面向未来,珍爱和平、维护和平,让中日两国人民世世代代友好下去,让各国人民永享太平。

1972年,中日实现邦交正常化,揭开了两国关系新篇章。从那时以来,中日关系在各个领域都取得长足发展。双边贸易额由实现邦交正常化时的11亿美元增加到去年的2360亿美元。截至去年年底,两国友好城市达到236对,人员往来达到544万人次。中日关系的改善和发

展,给两国和两国人民带来了实实在在的利益,为促进亚洲和世界的和平与发展作出了重要贡献。

今年是中日和平友好条约缔结30周年。在重温中日和平友好条约重大历史意义的时刻,我们深切缅怀那些为中日友好事业呕心沥血、辛勤耕耘的老一辈领导人和各界有识之士,更加感到今天中日友好合作的局面来之不易,值得倍加珍惜。

中日关系正站在新的历史起点上,面临进一步发展的新机遇。随着经济全球化深入发展,中日两国的共同利益不断拓展、合作空间不断扩大,在国际和地区事务中肩负的责任也不断加重。我昨天同福田首相举行了富有成果的会谈。我们就全面深化中日战略互惠关系达成广泛共识,确定了两国关系长期健康稳定发展的总体框架。我们一致同意,双方要共同努力,增进战略互信,深化互利合作,扩大人文交流,推动亚洲振兴,应对全球挑战,共同推进中日战略互惠关系。我愿就这几个问题谈些看法。

第一,增进战略互信。人与人要成为朋友,前提是互信;国与国关系要稳定,基础也在于互信。中日两国都是亚洲和世界的重要国家,双方应该客观认识和正确对待对方发展,相互视为合作双赢的伙伴,而不是零和竞争的对手;相互支持对方和平发展,视对方发展为机遇,而不是威胁;相互尊重对方的重大关切和核心利益,坚持通过对话协商解决分歧。

第二,深化互利合作。中日互为最重要的经贸伙伴。双方应该珍视长期以来两国经贸合作形成的良好格局,充分利用两国经济互补性强、合作潜力大的优越条件,加强两国节能、环保、金融、信息、知识产权保护等重点领域的合作,不断把两国经贸合作提升到更高层次,巩固两国关系的物质基础。

第三,扩大人文交流。人员交往是增进两国人民相互了解的桥梁,文化交流是沟通两国人民感情的渠道。我们应该持之以恒地开展两国人文交流,着力建立两国青少年交流长效机制,夯实中日世代友好的社会基础。

第四,推动亚洲振兴。亚洲振兴离不开中日两国的协调和合作。我们愿同日方及亚洲各国一道努力,推进多种形式的区域、次区域合作,加强共同安全,维护东北亚和平稳定,推进东亚合作进程和东亚共同体建设,在促进亚洲振兴中实现中日共同发展。

第五,应对全球挑战。当今世界面临的共同挑战日益增多,恐怖主义、气候变化、能源安全、粮食安全、金融风险、严重自然灾害、重大传染性疾病、大规模杀伤性武器扩散等影响各国发展和稳定,需要各国携手应对。中国愿同日本一道,积极参与各领域的国际合作,提高协作应对各种挑战的能力,共同推进人类和平与发展的崇高事业。

老师们、同学们、朋友们!

中日友好是两国人民的共同事业,需要两国人民为之不懈努力。通过同日本人民的广泛接触,我深深感到,发展中日友好在日本有着深厚的社会基础。长期以来,日本人民、社会各界和对华友好团体积极推进中日交流,友好合作始终是两国关系发展的主流。在中国现代化建设的进程中,日本政府向中国提供了日元贷款合作,支持中国的基础设施建设、环境保护、能源开发、科技发展,为促进中国现代化建设发挥了积极作用。日本各界友人以不同形式对中国现代化建设提供了热情帮助。对日本众多友好人士为中日友好事业倾注的心血,中国人民将永远铭记。

日本人民善于学习、善于创造,勤劳智慧、奋发向上。远在1400多年前,日本就先后20多次向中国派出遣隋使、遣唐使,借鉴中国的制度、典章、律令,引入佛教、汉字、技术,结合自己的实际形成了独具特色的日本文化。明治维新以后,日本人民努力学习吸收世界先进文明成果,逐步发展成为亚洲第一个现代化国家。日本人民以有限的国土资源创造出举世瞩目的发展成就,日本在制造业、信息、金融、物流等领域位居世界前列,拥有世界一流的节能环保技术。这是日本人民的骄傲,也值得中国人民学习。

这里,我要对两国青年朋友说几句话。曾在贵校学习过的李大钊先生说过,为世界进文明,

为人类造幸福,以青春之我,创建青春之人类。两国青年是中日友好的生力军,中日友好的未来要靠你们开创。我曾多年从事青年工作,对青年朋友有着特殊感情。我喜欢同青年朋友们在一起,感受青春的活力,感受生命的火红。1984年,中国政府邀请3000名日本青年访华,举行规模盛大的中日青年友好联欢活动,我全程参加了那次活动,同日本青年朝夕相处,建立了深厚友谊。去年6月,我们邀请参加1984年中日青年友好联欢活动的日本朋友访华,大家再次欢聚,百感交集。我在致辞中表示:“岁月可以改变人们的容颜,但改变不了人间的友情。”这样的经历告诉我,青年时代播下的友谊种子,将永远伴随着我们的人生。我们要共同努力,让中日友好的种子广泛播撒,让中日友好的旗帜代代相传。

今年是中日青少年友好交流年。双方将开展一系列内容丰富、形式多样的友好交流活动。在这里,我愿宣布,中国政府决定邀请100名早稻田大学学生访华。希望在座的青年学生能够加入这一计划,到中国去看一看。

老师们、同学们、朋友们!

再过3个月,第二十九届夏季奥运会将在北京举行。福田首相曾对我谈及日本人民对1964年东京奥运会的真挚情感,闻后感同身受。中国人民真诚希望办好北京奥运会。我们提出“同一个世界,同一个梦想”的口号,就是要通过北京奥运会,光大团结、友谊、和平的奥林匹克精神,增进世界各国人民的相互了解和友谊。借此机会,我愿感谢日本政府和各界人士对北京奥运会筹办的支持,欢迎日本各界朋友到北京观看奥运会,预祝日本体育健儿在北京奥运会上创造佳绩。

老师们、同学们、朋友们!

早稻田戏剧博物馆门楼上嵌刻着莎士比亚的名言“世界是一个大舞台”。古往今来,世界大舞台上演出的所有戏剧,主角始终都是各国人民。我衷心期望,中日两国人民手牵手、肩并肩,在中日合作的大舞台上,在振兴亚洲、促进世界和平与发展的大舞台上,共同创造中日关系更加美好的明天,共同创造世界更加美好的明天!

谢谢大家。{中日友好演讲稿}.

尊敬する白井克彦総長、尊敬する河野洋平先生、諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、 まず始めに、白井克彦総長の招きに感謝申し上げます、本日は有名な学府であるここ早稲田大学に参りまして、若い皆様や諸先生方と一堂に会する機会を得ましたことを大変嬉しく思います。中国人民を代表して、ご臨席の皆様、日本国民の皆様に心よりご挨拶と祝福を申し上げたいと存じます。

早稲田大学は中国の人々によく知られている学府であり、中国と深い繋がりがあります。早くも20世紀の初頭において、早稲田大学は数千人もの中国からの留学生を受け入れました。中国の近代史において重要な影響を持つ廖仲恺先生、李大钊先生、陈独秀先生、澎湃先生等はここで学問に励んだことがあります。今日、早稲田大学は中国の多くの大学及び研究機関と良好な関係を持ち、幅広い学術交流展開し、両国の人的文化交流を推し進めるために、積極的な役割を果たされました。

ここに参りまして、私はすぐに私が存じ上げている日本の何人かの友人、例えば、竹下登先生、海部俊樹先生、小淵恵三先生、森喜朗先生、福田康夫先生、河野洋平先生などです。彼らは皆早稲田大学の出身者でありまして、日本の発展のために、そして、中日友好事業のために貢献された方々です。昨年、早稲田大学創立125周年の時,御校は世界市民を育成する世界的な大学、21世紀へ挑戦する開かれた大学を目指すことを打ち出しました。それはまさに時代の流れが求めているものです。今後がより多くの英才を育成し、日本の経済と社会の発展のために、人類の進歩のためにより大きな貢献をすることを心からお祈り申し上げます。

中日両国は一衣帯水の隣国であり、両国関係はまさに新たな歴史のスタートラインに立ち、新たな発展のチャンスに直面しています。この度、私は中国国民の日本国民への友情を、そして、中日関係の発展への真摯な期待を抱いて、貴国を訪れました。中国政府と中国国民は日本政府及び日本国民と共に努力して、相互信頼を強化し、友情を深め、協力を進め、未来への道筋を描き、中日間の戦略的互恵関係の全面的発展の新たな局面を切り開いていくことを切に願っています。

諸先生方、学生の皆様、友人の皆様、

「世界の道は早稲田に通じる」これは早稲田大学の名言であります。中日関係の長期的、健全的、かつ安定した発展を推進し、両国国民の世世代代の友好を実現するには、両国国民同士の相互理解を絶えず深めていかなければなりません。ここで、私は歴史と現実の視点から中国のことについてお話したいと思います。皆様の中国に対する認識をより深めることにお役に立てば幸いです。

中国は悠久なる歴史を有する国であり、また大きな変革が起こりつつある国でもあります。5千年あまりにわたる長い文明の発展の過程において、中華民族は勤勉さと英知に富んだ民族性、鋭意進取の創造力、自ら励んでやまない奮闘精神を持って、輝かしい中華文明を創造し、人類文明の進歩のために重要かつ、大きな貢献をしました。他方、中国は苦難に満ちた道を歩んできました。とりわけ1840年の鴉片戦争以降、封建統治の腐敗と帝国主義列強の侵略によって、中国は艱難辛苦を嘗め尽くしてきました。貧弱で虐められる状況を変え、民族復興の夢を実現するため、中国人民は奮いだって戦い、確固たる決意で自立を求めてきました。1911年の辛亥革命によって、数千年にわたり、中国を統治してきた専制君主制度を打ち倒して以来、中国の発展は主に三つの段階を経ってきました。まず、一つ目に1911年から1949年まで中国人民は長きにわたり多大な犠牲を払って奮闘した結果、民族の独立と人民の解放を実現し、人民が主人公となる新しい中国を樹立しました。これにより、中国の発展と繁栄のために、根本的な条件を作り上げました。二つ目に1949年から1978年までです。中国は社会主義制度を確立し、歴史上もっとも重大な社会的変革を実現しました。中国人民はなみなみならぬ努力を経って国家建設の大きな業績を成し遂げました。三つ目は1978年から今日までです。中国人民は果敢に改革開放の偉大な道を歩み始め、新たな歴史的条件のもとでの偉大な革命を始めました。

今年は中国改革開放30周年であり、中国と中国人民にとって、特別な意義を持つ年であります。30年来、中国は高度な中央集権的な計画経済から活力に満ちた社会主義市場経済へ、そして、閉鎖的あるいは半閉鎖的な状況から全方位の開放へと偉大な歴史的な転換を成功裡に実現しました。中国の経済規模は世界の第11位から4位に躍進し、中国は世界第三の貿易大国となり、中国人民の生活水準も衣食にも欠ける状態からまずまずの生活を送れるところまで発展しました。中国は歴史的な変貌をとげたのです。

改革開放の偉大な実践において、私たちは競争が激しさを増す今日の世界において、一つの国、一つの民族が発展するには、鋭意改革を推進すること、発展に力点を置くこと、開放を堅持すること、人間を一番大事にすること、調和を促進することが極めて重要だということを認識しました。鋭意な改革とは、時代の流れに順応し、勇敢に変革し、新たなものを作り上げ、発展を妨げるあらゆる思想と観念を断固に破り、発展を束縛するあらゆる規定とやり方を変え、発展にマイナス影響を与えるあらゆる体制の歪みを取り除いて、社会の発展と進歩に強い原動力を提供することであります。発展に力点を置くとは、終始発展何よりも重要な任務として、科学的発展を堅持しながら、発展の原理を把握し、発展の理念を新たにし、発展の方式を転換し、発展の難題を解明することに力を入れ、社会の生産力を絶えず解放発展させ、経済と社会の良好で快速な発展を実現することでありま

中日友好演讲稿篇六

日语演讲经验

十年以来,我指导演讲。重视演讲。

究其原因,是因为我相信从几年前就开始的矫正学生发音与指导学生演讲的本领,或许是神灵赐予我的唯一的天赋吧。另外,我还有一个能够重视演讲的理由。那就是我认识到日语的演讲能力与日语学习能力完全无关。

我想说,日语演讲能力与日语能力如同日语与英语之别。这句话难以理解吧?那么,我再举一个例子。学习日语演讲,与学习除日语之外的其他专业同等重要。如同学习经济学,学习计算机一般。

但是,多数人会深信在日语演讲大赛中获胜的学校,其日语水平较高。其实,这只不过是个误解而已。如果我换作是你这样有日语基础的人,一定会自此以后扎实训练,在全国大赛中取得优胜。

企业会要求日语专业毕业的学生具备除日语以外的其他方面的能力。比如另一个专业是经济学,或是计算机等。但是,如前所述,我认为日语演讲能力就如同日语以外的其他能力,如经济学知识或计算机技能。

“这是不是有点夸张呢?”对此表示质疑的各位,请闭上双眼,认真考虑一下。 所谓演讲能力究竟是指什么呢?只是能够流利地讲话吗?不,绝非如此。你不认为那是一种能够赢得对方认可的能力吗?是的,你会这么认为吧。这种能力通常被我们称之为说服力、交际能力、经营能力。所以,演讲时最重要的是讲话技巧与表情。

最佳的讲话技巧,有这样几条规则:声音明快,避免使用同一语速、同一音量、同一节奏,等等。避免表情沉闷,且不要表情单一,不要给对方留下不好的印象。就如我前面所说,与日语学习完全不同。

在我身边,有掌握了日语演讲技能的学生,她们能够在很短的时间内告诉你在上台之前,怎样走上去较好;在讲台上,行什么样的礼较好;演讲中以怎样的态度演讲会给观众留下好印象;语言要如何组织才便于理解,等等。这些知识要在真正演讲前扎实掌握。如果脑海中没有一个正确的答案,就不可能做一场精彩的演讲

很多人认为“外语是一种工具”

的确如此。不过,在我看来,能够懂得如何使用这种工具的学生只有二十分之一。也就是说,只有5%。而95%的学生都不清楚日语这种“工具”的使用方法。因而,随时都伴有给对方带来不快的危险。

但是,只要在平时努力学习工具的使用方法,也就是努力提高演讲能力。那么,不仅日语,你的另一项专业,比如经济学与计算机、法律等都将成为最实用的工具。总之,所谓演讲能力,就是无论什么样的工具都能得心应手地运用的能力。

今天,我想向大家简单介绍一下提高演讲能力的方法。

因为字数有限,所以,不能详细说明。在这里为大家介绍一种快速掌握要领的方法,如果有机会的话,请试着挑战一下。

首先,请好好安慰失恋悲伤的室友。消除室友的悲伤情绪,重要的是与其交谈的时机。

接下来,请完成一个人无法完成,但要想方设法说服身边的人来一同完成的工作。目地在于“完成”。不要给对方带来不快。一定要让对方真心愿意帮助你。

最后,选择三家公司,由你来制定一个“中日友好活动”的企划案。请就此做一说明。

无论结果如何,这三项挑战一定会在很大程度上改变你的人生。但是,也许有95%的人读过这篇文章后,都没有抓住机改变人生吧。你不可以成为这样的人。好容易把这篇文章读到最后,哪怕完成一项也好,请试试看。当然,使用中文来完成也可以。

我在文章最开始时就说过,日语演讲能力与日语能力完全不同。你将来步入社会,是否能出色地完成你的工作,与你的演讲能力有着密切的关系。不善演讲的人即便好不容易有了一个不错的创意,也不能说服周围的人。但是,善于演讲的人,一旦被上司提名,就得到了一次很好的机会。因为善于演讲,那个人也一定会牢牢把握住这个机会。以上就是我的演讲。(笑)

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